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山形地方裁判所 昭和55年(ワ)211号 判決

原告

小笠原敏夫

被告

山形県

右代表者知事

板垣清一郎

右訴訟代理人

海谷利宏

外四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年七月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和三八年三月早稲田大学教育学部国語国文科を卒業し、同年四月一日山形県教諭に任じられ同日より山形県立酒田北高等学校に勤務したが、昭和四八年四月一日山形県立酒田工業高等学校(以下「酒工高」という。)に転勤し、現在同校に勤務中である。

なお、原告は、昭和三八年三月中学校教諭一級普通免許状(国語)及び高等学校教諭二級普通免許状(国語)並びに図書館司書及び図書館司書教諭の各資格をそれぞれ取得し、昭和五四年二月高等学校教諭一級普通免許状(国語)を取得している。

(二) 被告は、公立高等学校の設置者であり(公立高等学校の設置、適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律三条)、国家賠償法三条一項の公務員の俸給、給与その他の費用又は公の営造物の設置若しくは管理の費用を負担する者である。

2  原告の権利

(一) 教師の自主研修権

原告には、教育公務員として教育公務員特例法(以下「教特法」という。)第三章各条に規定する自主研修権が保障されている。

(1) 教育研究としての教師研修の権利性

(ア) 教育研究としての教師研修

教師は、子どもの学習権・人間的成長発達権を十分に保障する良い教育を行つて教育責任を果せるようにするため、そして教職の専門職性を確保発展させていくため、教育に関する研究(授業内容や子供の成長発達状況及び教育関係問題の研究)と人間的な修養(教養をつみ人間性を高めること)とに努める必要がある。国公立学校教師についてはそのことを教特法一九条一項が、「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」と確認している。一般の行政公務員の研修は主に任命権者が計画実施する「勤務能率の発揮及び増進」の手だてであるが(地方公務員法(以下「地公法」という。)三九条等)、教育公務員の「研修」には言葉は同じでも意味合いが異なり、右の「研究と修養」がつづまつた語であるとされている。教育公務員がこのような研修に「努めなければならない」というのは、教育条理としての一種の服務の確認であつて、教育行政当局が命ずる研修を受ける義務を負うという意味ではない。むしろ教師の研修には教育条理上、つぎのような権利性が強く伴なうものと解される。

(イ) 教師研修の自主的権利性

教師研修が教育研究と人間的修養を内容とすることから、第一に教師個々人の自主性・人間的主体性の保障が不可欠であり、第二にそのような自主的研修が教職にとつて持つ重要さに基づき、教育行政・学校管理当局に対し研修時間の保障など自主的研修の条件整備を要求する権利性が生ずる。この教師研修の自主的権利性は、以下に見ていくとおり教特法によつてかなりよく保障されており、全体として「教師の自主研修権」(研修自主権)の原理とよぶことができる。そしてそれは「教師の教育権」の原理と有機的一体のものである。また制度的には、教師の自主研修権は主に、教師みずからが決める「自主研修」の権利を指すが、教育行政当局が計画する「行政研修」に関する教師の自主性の保障をも含むことになる。

(1) 教師研修における自主性・人間的主体性 この教育条理は、教特法の条文上にも「研究と修養に努め」るとか「研修を行うことができる」とかの表現(一九条一項・二〇条二項)に現われ、すでに判例上にも認められ、また教育研究の自由としては憲法二三条「学問の自由」にも根拠づけられていると解されるが、教師研修における自主性・人間的主体性の教育学的根拠は、「教師は自己の人格に統合(インテグレート)された徳性・知識・技能でなければ、教育によつてそれを児童生徒に与えることはできない。そして教師において徳性・知識・技能がその人格に統合されているためには、教師の側における、その知識・技能を自己の人格に統合しようとする、すぐれて自主的・積極的な関心・態度が必要なのである。」旨述べられている。

(2) 教育行政による教師研修への条件整備 教師は教育条理上、自主的研修に関する条件整備要求権を有し、これに対応して、教育公務員の任命権者は、教育公務員の研修について、それに要する施設、研修を奨励するための方途その他研修に関する計画を樹立し、その実施に努めなければならない(教特法一九条二項)。これはILO・ユネスコ「教員の地位」勧告における定めにもマッチしている。右の研修奨励方法には、教特法二〇条二項、三項の定める校外自主研修・長期研修(内外地留学)の機会保障のほか、学校における教育研究資料・設備の充実や研究費・研修旅費・講演会費の十分な支給などがある。さらに教育行政機関は教師に対する行政研修を計画実施することができるが(地方教育行政の組識及び運営に関する法律〈以下「地教行法」という。〉二三条八号、四五条、文部省設置法五条一項二一号、二二号)、これには教育条理法上、教師研修への条件整備としてつぎのような条件が付される。すなわち、

第一に、行政研修においても教師の自主性を保障すべく、それは法的に強制されることなく優れた内容の魅力で教師をひきつけていくという「指導助言」作用でなければならず、参加教師に討論・批判の自由を十分に保障するものでなければならない。したがつて行政研修への参加を命ずる研修命令は原則的に適法たりえないと解される。教師の教育研究としての研修はその性質上、他律的な職務として上から命ぜられるべきものではないからである(教育への不当な支配を禁ずる教育基本法一〇条一項に実質的に反しよう。)。

第二に、教師の研修としては自主研修こそが基本であつて、行政研修は自主研修にたいして補充的にとどまるべきものである。けつして行政研修が排他性を示し、自主研修に優越してそれを抑制する実質を持つようであつてはならない。

(2) 教師の校外自主研修権の制度的保障

(ア) 校外自主研修の機会保障

欧米諸国では教師が原則として授業時間だけ学校に拘束されるという自由な勤務体制にあるため、校外自主研修の時間に事欠かないのに対して、わが国の学校教師は一般の労働者・公務員と同様な拘束勤務時間制の下に置かれているため、勤務時間内の校外自主研修については特別の機会保障がなされなければならない。そこで教特法二〇条二項が、「教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。」と規定している。これは、教師の時間内校外自主研修権の保障規定であると条理解釈される。ところが実際には、そこにおける校外自主研修の法的性質をめぐつて解釈の分れがあり、それが当該研修の手続・内容等にかかわつている。

行政解釈によると、この教特法二〇条二項に基づく校外研修は、公務員の職務専念義務(地公法三五条)を職務外の重要行為のために特に免除される職務専念義務免除(以下「義務免」ともいう。)の一形態にすぎない。たしかに、教師研修の自主的行為性に照らすとき、時間内校外研修を職務外の「義務免」行為であると見ることにも理由があり、判例にも同旨のものがある。しかしこれによつて教師の時間内校外研修が服務監督の対象とされ、自主研修の修会保障が不十分になるおそれがある。それ故教師研修のうちで担任教育活動に関連性を有する研究(教育関係問題の研究をふくむ。)はその教職にとつての重要性からして自主的な職務行為と見るべきであり、教特法二〇条二項に基づく校外研修は「義務免」研修とは別で、校外における自主的職務研修の時間を保障する制度にほかならないと解すべきである。本務たる授業に大きな支障があつてはならないが、授業にとつて教育研究は必須なのであり、教師の担当授業時間が多すぎて校外自主研修の暇がないというような状態は、同条項に沿わないであろう。そして校外自主研修も職務行為である以上、旅費条例に基づく出張命令扱いとして公費旅費支給の対象になりうると解される(それが教師研修への行政的条件整備となるゆえんであろう)。当面の実際問題としては、教師の校外研修時間及びそこにおける自主性が十分に保障されることが肝要と考えられる。

(イ) 校外自主研修における教師の自律性

①形式的確認手続としての「校長承認」 教特法二〇条二項が校外研修は「授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて」行いうると規定していることに関して、前記の行政解釈は「義務免」行為説の立場で、「これは服務監督上の承認手続であつて、研修内容は職務と密接な関連を持つものであるが、研修の成果が今後の職務遂行に役立つものであるかどうかを、あらかじめ提出させる研修計画をもとに吟味しなければならない。そして承認するか否かは本属長の自由裁量である。」と解している。

しかしこれでは、教師の自主研修について校長の検閲制が布かれてしまうこととなり、教師研修の自主性の条理に反する。前述の自主的職務行為説の立場からは、校長の承認は、法文の文字どおり「授業への支障」つまり本務への支障の有無を学校として確認するための裁量の余地なき行為(羈束行為)であると解する。これは通常は形式的な確認手続(届出制的な実態)となるものと見られ、もし授業への支障について判断を要するような場合は、学校の教育計画にかかわる問題であるから職員会議の審議にかけて決すべきことになろう。本条項における「校長の承認」も、授業への支障は教育委員会ではなく校長を中心とする当該学校で見きわめるべきものとする趣旨と解され、当然に学校内での校長の専決権を規定したものではない。

また、授業への支障の有無をこえて校外研修の内容に関しては、それが職務行為であつても研究活動である以上、自由で主体的であるときにのみ真に研究成果を挙げうるのであるから、根本において各教師の自己規律にゆだねるほかはない(この点、大学教授の研究職務の場合と本質的に同じことである)。もし極端に失当な事態を処断するとすれば、すべての自主研修を検閲する手続を設けなくても、一般の人事上の服務監督で十分まかなえるはずである。もつとも校外自主研修に関して学校教師集団によるそれなりの内部規律や校長による指導助言はあつてもよいであろうが、そのために研修計画書や報告書の提出を必須とすることには合理性がなく、それは研修の自主性を侵さずにはいないであろう。

さらに、授業への支障なく承認されるべき校外研修が違法に不承認とされた場合、どう考えるべきか。行政解釈におけるごとく校長承認の自由裁量説を採ると、不承認とされた教師の救済には困難があろうが、違法な不承認の場合には救済がなされるべきであろう。不承認処分の取消争訟は時期的に間に合わないので、事後の人事処分をめぐる訴訟等において争われることになりやすいが、教師の校外自主研修権を保障する承認羈束行為説を採る以上は、違法な不承認の場合には承認があつたものとみなして法律関係を論ずるのが当然と考えられる。

②校外自主研修の内容に関する教師の自律性 教特法二〇条二項に基づく時間内校外研修は、その研究活動の内容面については根本的に各教師の自律にゆだねるべきものであつて、それにともないその校外研修の場ないし形態は多様でありうる。

その一として、自宅研修ないし定例研究日がある。右条項に基づいて自宅研修がありうることは、当初から行政実例も確認していたところであつた。高校教師が取得していることの少なくない定例研究日は、授業に支障のない校外自主研修の一括承認の形態にほかならず、学校の年間教育計画もそれをふまえて樹てられることとなろう。

その二として、校外自主研修の場たりうるものに、学会や民間教育団体の研究集会のほか、教職員組合の教育研究集会(いわゆる“教研”教組教研)がある。この教組教研については、教育行政当局側に、それは組合活動であるから教特法にもとづく「義務免」研修としては不適切で、労働基準法上の年次有給休暇(以下「年休」ともいう。)を認められて参加するのが限度であるといつた考え方がかなり存するようである。しかし教組教研参加の研修性はすでに判例上にも認められるところとなつており、全面否定説は教職員組合が教員団体として教育関係活動をなしうるという教育条理に反するといわなければならない。

ILO・ユネスコ「教員の地位」勧告六二項によれば、「教員及び教員団体は、新しい教育課程、教科書及び教具の開発に参加するものとする。」同じく七六項によれば、「当局及び教員は、……教育研究並びに改良された教育方法の開発及び普及に、教員が、教員団体を通じて又はその他の方法により、参加することの重要性を認識するものとする。」。ここでいう「教員団体」は国によつて実態に差がありうるが、わが国教育界においては、現実に教育関係活動の実績を有する教職員組合がそれに該当しうるものと解される。

(3) 以上のとおり、教師(教育公務員)には教特法一九条、二〇条等により自主研修権(以下「研修権」という。)が認められ、本属長たる校長は、授業に支障のない限り教師から自主的研修の申出があればこれを承認すべく羈束されているものであり、かつ授業への支障の有無の実質的判断権は校長にはなく、研修に参加する当該教員又は職員会議のみがこれを判断しうるものであると解すべきである。

(二) 年休権

(1) 地方公務員である原告には、労働基準法(以下「労基法」という。)三九条が適用される。

労基法三九条は、労働者には年休権を権利として保障し(権利性)、かつ欲するときに自由に取得できるということ(自由性)を保障する一方、使用者に対しては、労働者が請求した時季に年休を与えると「事業の正常な運営を妨げる場合」には「他の時季にこれを与えることができる」という時季変更権を保障している。このように使用者、労働者の権利をともに保障しているが、使用者(本件の場合は被告)の時季変更権は、事業(学校運営)の正常運営が阻害される場合に限つてのみ行使できるとして、一定の制限が付されている。こういう形で両者の権利の調和、調整を図つているといえるのである。

(2) 年休の法的性質については、最高裁昭和四八年三月二日第二小法廷判決(民集二七巻二号一九一頁白石営林署事件、民集二七巻二号二一〇頁国鉄郡山工場事件)があり、この判決後、労働省の行政指導も右最高裁の判旨にそつて行うことになつたものである(昭和四八年三月六日基発一一〇号)。

右最高裁判決の要旨は本件に必要な限りでは、次のとおりである。すなわち、

① 年次有給休暇の権利は、労基法三九条一項、二項の要件充足により法律上、当然に生ずるもので、同三項の「請求」とは、休暇の時季の指定を意味する。

労働者が休暇の始期と終期を特定して時季の指定をすれば、使用者が三項但書による時季変更権を行使しない限り、右指定によつて年次有給休暇が成立し、就労義務が消滅する。

② 年次休暇の利用目的は、労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由である。

(3) 原告には、地公法二四条六項を受けた山形県立学校職員の勤務時間及び休暇等に関する条例九条(年二〇日以内の年休が保障されている。)及び「教職員の年次有給休暇の繰越について」(昭和三九年一二月一九日学842号教育長)により、昭和五二年六月二一日(同年度外国旅行承認申請)当時三二日五時間、昭和五三年五月一六日(同年度外国旅行承認申請)当時一八日四時間の各年休請求権があつた。

(三) 海外旅行権

原告には、憲法二二条二項に基づく海外旅行権が保障されている。

憲法二二条二項は「何人も外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。」とし、外国移住の自由を保障している。本条における「移住」はひろく移転の意と解され、一時的な外国旅行をも含むと解すべきである(最高裁昭和三三年九月一〇大法廷判決・民集一二巻一三号一九六九頁)というのが判例である。

第二次世界大戦後における交通機関特に航空網の発達は著しく、それを利用して世界の各国民の間には、人間的な接触を行う機会が広範かつ頻繁になつた。個人のさまざまな目的を達するため、また国家間の友好関係を促進するためには、それぞれの目的にしたがつて自由に外国に旅行することが可能でなければならない。

海外渡航の自由が憲法何条によつて保障されているかは、学説、判例は三つに別れるとされるが、外国移住は、出国と海外渡航を不可欠の要素とし、外国旅行とその手段を等しくするから、外国移住が憲法で保障されている以上、これと密接な関係にある外国旅行、海外渡航の自由は必然的に外国移住からひき出されると解するのが通説及び前記判例の見解である。

3  海外研修申請に至る動機等

(一) 海外研修の動機

原告は、昭和三八年四月山形県教諭に任じられて以来国語科を担当課目としてきたが、その原告にとつて「日本の中の日本」という生き方はもはや許されず「世界の中の日本」ということを絶えず考慮に入れなければ、日本は生きてゆけないということに気がつくにいたつた。原告はその高校時代、英語学習に拒絶反応をおこした一人であるが、母国語以外に何か一か国語理解し話すことができるというのは、これからの日本人にとつてやがて常識となる時代がくると気がつくにいたつた。

「日本はいうまでもなく資源のない国であり、国際社会にあつて日本が生きぬいてゆく為には、日本人は勤勉かつクレーバー(賢明)でなければならない。単なるエコノミック・アニマルとしてでなく、文化、文明、生活向上発展のためにも日本は貢献すべきであり、他国人の中にあつて意思を通じ合わせる最大の手段は「言葉」であり、そのためには英語でなくとも何でも外国語の一つ位はマスターすべきであり、国語科の教諭が国語科のみにとどまつてはおくれをとつてしまう、高校の卒業生は日本国内に就職するわけでなく、世界各国にささりこんで活躍する者が多数出てくる、そしてそれが珍しくないという時代は必ず来るし、教師はそこまで見通したそれらの状況に充分対応した教育をほどこさなければならない。」というのが原告の認識であつた。

(二) 国語科にとつての英語

国語というせまい教科にかぎつても、授業の中において英語は実に無数の現れ方をする。

① (教科としての)外国文学

② (日本語中における)外来語

③ 比較言語学(言語としての構造の違い)

④ 外国事情、文物、世相(教材になつていても、いなくとも)

⑤ 生活体験など

これらのことは、常識的にでも英語の知識、研究(勉強)は国語教師にとつて必須、不可欠なものであることを示している。形式としての「日本語ないし言葉」のみを教えれば国語教師は良いというものではない。「日本語ないし言葉」と表わされたものの実物実体をその教師が知つており、教えることができれば、その教師の授業は生徒に対しより説得力を増すことは、理の当然である。

4  加害行為

(一) 昭和五二年度

(1) 原告は、昭和五二年六月二一日原告の勤務校である酒工高を経由して被告の執行機関である山形県教育委員会(以下「県教委」という。)教育長(以下「教育長」という。)宛に、イギリスのケンブリッジ大学での三週間の語学研修と一週間のヨーロッパツアーの計一か月間の左記外国旅行承認申請を行つた。

(ア) 目的

① 語学研修(主として英語)

② 日本語及び日本文学の海外普及

③ 海外研修による人格の陶冶

④ 海外教育事情視察

(イ) 旅行地

イギリス及び西ヨーロッパ

(ウ) 日程

昭和五二年七月二四日から同年八月二三日まで

(エ) 経費

自己負担

(オ) その他

計画書一部

「海外学術文化協会」主催の語学研修旅行計画による。

(2) 右の海外研修の内容は、英語科教員対象というよりも一般教員を対象とし全教科目の教員が参加していたもので、昭和五一年五月改正の「教職員の外国旅行承認基準(内規)」(乙第一号証)による3の研修(1)に該当する職務専念義務免除の研修に該当するものであり、かつ右研修申請は酒工高等学校長秋場實(以下「秋場校長」という。)及び同校教頭御橋義諦の指導の下に出したもので、教特法二〇条二項の本属長たる秋場校長が研修として承認を与える旨の賛成意見書を付したものであつた。

(3) しかるに同年七月六日秋場校長は酒工高校長室において、口頭で「申請は不承認」と原告に申し渡し、理由については、日程と目的という重大な二点においてひつかかつたと言つた。日程については、「一学期の反省と二学期の準備が必要であるから一か月の旅行は許可しない。」と言い、目的の点では、「国語教師と英語と何の関係がある。」ということで、「教えている教科と直接関係のないものは許可しないと今年から決めたのだ。拡大解釈はしない。」という方針だということであつた。

(4) そこで原告は、やむを得ず海外旅行の期間を一週間短縮して(同年七月二四日から同年八月一五日まで)同年七月六日付で申請書を教育長宛に再度提出し(前記六月二一日分と同じ校長意見書(乙第五号証の二)添付)、同月九日県教委が受理し、同月一三日付で「取扱い年休」で処理されたい旨の決裁がなされ、同月一八日秋場校長から原告に対し口頭で告知された。同月一六日発送の教育長の文書は、同月二一日酒工高に収受され、原告に交付された。

(5) 原告は、同年七月二四日から年休扱いで右外国旅行に出発した。

(二) 昭和五三年度

(1) 原告は、昭和五三年五月一六日前年同様酒工高を経由して教育長宛に、アメリカのシッペンスバーグ大学における語学研修(一〇日間)と外国旅行の合計三七日間の左記外国旅行承認申請を行つた。

(ア) 目的

① 語学研修(英語)を通して「文学と風土」との関係をさぐる。

② 海外教育事情視察

③ 海外研修による人格の陶冶

(イ) 旅行地

アメリカ(シッペンスバーグ大学を根拠地とする。)

(ウ) 日程

昭和五三年七月二一日から同年八月二六日まで

(エ) 経費

自己負担

(オ) その他

計画書一部

「NCI」主催の「教師のための英語研修(STUST・七八)」による。

(2) 海外研修の内容は、前年度と同様義務免研修に該当するものとしてなされたものであり、かつ秋場校長が前年度と同様に賛成意見書(乙第七号証の二)を付したものであつた。

(3) しかるに県教委からは、申請時より二か月弱たつた同年七月一〇日年休で承認する旨の通知がされ、この時点で原告の年休は一八日四時間であり、秋場校長は「年休内で行つてこい。年休外は(研修と認めず)不承認欠勤となる。私(校長)が承認しないのに行つたなら懲戒処分になる。」と言い、教職員組合の酒工高全日制分会の分会長に立ちあつてもらつて校長交渉を何回かしたが、秋場校長は前言をひるがえして「研修相当」と認めなかつた。そこで原告は、昭和五三年度のツアーの準備一切を放棄し旅行を中止した。

(三) 違法性

(1) 原告の前記昭和五二年度及び同五三年度の各研修申請(海外研修旅行申請)については、教特法二〇条二項により、勤務場所を離れての研修は本属長の承認事項である旨規定されているのであるから、右各研修申請の可否決定は原告の本属長たる秋場校長がなすべきところ、右各研修申請についていずれも教育長(昭和五二年度は赤星武次郎、同五三年度は吉村敏夫)が可否決定を行つているのは権限外の行為であつて違法である。

(2) 教育長及び秋場校長が原告の前記各研修申請について年休扱いを条件としたことは原告の研修権及び年休権を侵害するものであつて違法である。すなわち、

(ア) 外国旅行といつても教師にとつての海外研修であれば、教特法二〇条二項に基づく「研修」であつて教育長のなした「外国旅行を承認するが年休扱いで行え。」という指導は原告の研修権を侵害するものであり、かつ、年休を外国旅行=研修に使えと干渉している点で原告の年休権をも侵害するものであり、また、秋場校長は右指導を受け、原告の申請に対し、当初の承認の態度をひるがえし、前記各不承認行為をなしたものであり右同様原告の研修権及び年休権を侵害するものであつて違法である。

(イ) なお、被告における前記教職員の外国旅行承認基準(内規)が、教特法二〇条二項に基づく海外「研修」を「原則として休業期間中に承認」と限定し(右内規中の3及び5の承認の条件)、3で休業期間の前または後に及ぶ場合及び3の①②記載の研修が平常日に実施される場合は、「八日以内の年休を限度として承認」と規定していることが違法であることはもちろんである。

(3) 原告の海外研修申請に対する教育長の承認(「私事旅行を含め、外国旅行については一か月前までに教育長の承認を受けるよう(指導してきたものである。)」)は、前記海外旅行権(海外渡航の自由の保障)に鑑み、特段に公共の福祉に反する制限事由がない以上承認するのが原則となるべきものであり、教育長が何の理由も明示せず「年休扱い」との指導をしたことは違法である。

(4)(ア) 教育長は、昭和五二年度において、酒工高実習助手工藤晃一の外国旅行申請に対して、昭和五二年七月六日付で酒工高校長宛「教職員の外国旅行について」(通知)において、不承認の通知、同校教諭佐藤英治及び同佐藤功の外国旅行申請に対しては、昭和五二年七月八日付で、年休扱いで承認する旨の通知を行い、これが各人に伝達されたのは、同年七月一四日であつた。一方、原告については、以上の三者よりも二〇日以上も早く申請を提出しているのに、出発三日前の同年七月二一日、「年休」扱いで承認する旨の伝達があり、外国旅行に備えての心理的、精神的、物資的諸準備が必要な原告に著しく不利益な差別的取扱いをしたもので、違法である。

(イ) 教育長は、昭和五三年度において、昭和五三年五月三〇日付で申請した原告及び酒工高教諭高橋茂の外国旅行申請に対し、昭和五三年六月六日付で、右高橋に対し、研修として承認を与え、一方原告に対しては同年七月三日付で右高橋に対するものよりも一か月遅れで「年休」で承認する旨の通知を行つた。

ちなみに、各通知の時点で原告は一八日四時間、高橋は一七日の各年休残であり、原告は、教員採用後一六年間在職していたもの、高橋は昭和五三年度、山形県新採用の教員であつた。これは、憲法一四条の法の下の平等の理念に照らしても、原告を差別待遇するものであつて違法である。

5  被告の責任

原告に対し前記のとおり違法に原告の研修権、年休権及び海外旅行権等を侵害した秋場校長及び教育長は、被告の公権力の行使に当たる公務員で、その職務を行うについての故意少なくとも過失によつて右各違法行為をなし、それによつて原告に損害を被らせたものであるから、被告は、国家賠償法一条一項、三条一項に基づき原告の被つた次の損害を賠償すべき義務がある。

6  原告の損害

原告は、被告の公務員によつて以上のような違法行為を加えられ、よつて、昭和五二年度にあつては旅行期間の一週間の短縮を強いられたうえ、研修権を行使できず、年休権及び海外旅行権を事実上奪われるなどされ、金一〇〇万円相当の精神的苦痛を与えられ、昭和五三年度にあつては、全く研修権の行使を否定され、外国研修そのものを断念する事態においこまれ、金一〇〇万円相当の精神的苦痛を与えられた。

7  結論

よって、原告は、被告に対し、不法行為(国家賠償法一条一項、三条一項)による損害賠償請求権に基づき、原告の被つた右損害金合計金二〇〇万円及びこれに対する履行期の後である昭和五五年七月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)、(二)の各事実はすべて認める。

2(一)  同2の(一)の研修権に関する主張は争う。右研修権に関する被告の主張は後記三のとおりである。

(二)  同2の(二)の年休権のうち、(1)及び(2)の主張は認める。同(3)のうち原告の昭和五二年度における年休が同年六月二一日当時三二日五時間であつたことは否認し(三三日間である。)、その余の事実は認める。

同2の(三)の海外旅行権に関する主張は認める。

3(一)  同3の(一)の原告の動機は知らない。

(二)  同3の(二)の国語科にとつての英語に関する主張は争う。

4(一)  同4加害行為の(一)の(1)の事実は認める。

同(2)の事実は否認する。

同(3)は、七月六日秋場校長が酒工高校長室において、原告に対し、口頭で「申請は不承認」と申し渡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同(4)は、校長の意見書の趣旨を否認し、その余の事実は認める。

同(5)の事実は認める。

(二)  同4の(二)の(1)の事実は認める。

同(2)の事実は否認する。

同(3)は、秋場校長の言動について否認し、その余の事実は認める。

(三)  同4の(三)の主張は争う。

5  同5ないし7の主張は争う。

三  被告の主張

1  教特法の規定は、教員の研修権を認めたものではない。

(一) 教職員を含めた公務員一般についての研修が地公法に規定せられ、教育公務員の職務とその責任の特殊性に基づき、教特法一九、二〇条に教員についての研修規定が設けられていることは原告主張のとおりである。しかしながら、教特法と地公法との研修規定の相異は次の点にある。

① 地公法は、「勤務能率の発揮及び増進」の手段、方法として研修をとらえているのに対し、教特法では、「その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなけばならない」として、職務遂行との関連を強くとらえている。

② 教育公務員の研修に関する任命権者の任務をより積極的に規定している。

③ 教育公務員については、受動的研修のみならず、その自主的、能動的な研修を期待し、その自覚を促し、制度的にこれを保障していることである。

(二) 右「職責遂行」のなかには、地公法で規定する勤務能率の発揮及び増進の意味が含まれているのであつて、教特法の規定は地公法の一般的規定を排したものではなく、教育公務員の特殊性に鑑み、研修の重要性を規定したものである。

教員の職務は児童生徒を教育することであり、これは単に一定の知識を一定の秩序に従つて授けるだけではなく、精神的肉体的に健全な育成をめざす全人的なものである。教員のこのような職責の重要性にかんがみて、教特法一九条一項はその職業倫理、教育公務員の姿勢を確認し、二〇条二項は研修のため一定の要件のもとに職務専念義務免除を保障したものである。

右の比較からもわかるように、両者の規定内容に差異があるからといつて一般公務員と教育公務員との研修が本質的に異なるものであるということはできないというべきである。

したがつて、教特法の規定は原告のいう如き、教員の研修権ないし、教員より任命権者に対する研修請求権の発生を根拠づけるものではない。

(三) 原告は、「教員の地位に関する勧告」を引用しているが、その内容は認める。しかし、右は文言通り勧告であり、行政当局においてその尊重されるべきことは言を待たないが、法的拘束力を伴うものではない。また、ILOの勧告内容からも教員の研修についての権利的保障は出てこない。

2  学問の自由との関係

(一) 憲法二三条の学問の自由は、大学における学問的研究の自由とこれが研究結果の発表、教授の自由を保障したものではあるが、下級教育機関におけるそれを保障したものではない。

学校教育法五二条は、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」とし、大学教授の職務として、研究と学生への教授を規定し、また、大学の重要事項審議権は教授会にあるとし(同法五八条五項、五九条)、学問の自由の具体的保障規定を設けている。

(二) これに対し、下級教育機関である高等学校については、その教育内容を同法四一条において、「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。」と定め、その学科及び教科は監督庁が定めること、教科用図書については、文部大臣の検定ないし著作名義のものを使用することとしており(同法四三条、二一条)、生徒の知能的、精神的、肉体的発達段階に応じた教育を、全国的に教育レベルが区々にならないよう一定の基準に則り授けることになつている。

この規定の内容からも、高等学校教員には、憲法上の教育の自由及びこれと一体をなす研究の自由は保障せられているとは到底いえない。

(三) したがつて、高等学校教員には憲法上保障される研究の自由ないし研修権は存しないことは明らかである。

3  国語教育と語学研修

(一) 国語教科において、外国文学や外国事情、文物、世相を取り上げ、日本人とのものの考え方や習慣、生活様式などの異同につき理解を深めること、また、外来語や比較言語学の成果などが国語教科の内で取り入れられることが、国語を理解するうえで有意義であることを否定するものではない。

(二) しかし、高等学校教育は、学校教育法四一条に規定するように、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的としており、この目的を達成するため、国語教科についても、他教科と同様、監督庁である文部省において、高等学校学習指導要領を定め、全国高等学校における国語教育の達成目標を定めている。

(三) 国語教科についてはその目標として

生活に必要な国語の能力を高め、国語を尊重する態度を育てる。そしてこのため、

① 国語によつて的確に理解し表現する能力と態度を養う。

② 国語による理解と表現を通して思考力、批判力を伸ばし、心情を豊かにする。

③ 国語による伝達を効果的にして社会生活を高める能力を伸ばし態度を養う。

④ 言語文化を享受し創造するための基礎的な能力を伸ばし態度を養う。

⑤ 国語に対する認識を深め、言語感覚を豊かにし、国語を愛護してその向上を図る態度を養う。

というように総括的目標と具体的目標を掲げているが、その中核は国民の生活に欠くことのできない基礎的な能力を養うこと、文化の享受や創造に資するため広く言語文化に対する理解を深めることという二点である。外国文学、外国事情、外国の文物世相の理解や外来語に対する理解力の増強は補助的なものであつても、教科の一内容としているものではない。この考え方の基本は昭和五七年度から実施されている改訂学習指導要領においても変わるものではない。

(四) 国語の科目として取り入れられているものは、

現代国語(標準単位数7)必修

古典1甲(〃    2)必修

古典Ⅰ乙(〃    5)選択(これを履修する場合は、古典Ⅰ甲の履修は必要ない。)

古典Ⅱ (〃    3)選択

現代国語の内容は、A聞くこと、話すこと、B読むこと、C書くことの三領域から成つているが、その中でB読むことの中に、「ア記録・報告・説明などを読む」「イ論説・評論などを読む」「ウ詩歌、随筆、小説、戯曲などを読む」とあり、この中には近代日本の形成に影響を与えた「翻訳作品」などを含むことになつている。また、語句の指導面でも外来語の指導なども当然必要になつてくる。

しかし、「翻訳作品」は外国の作品に基づくものとはいえ、それはすでに日本語に表現されたものであるとともに、日本の評論・文学の中に骨肉化されたものであり、当該原典を読解する力があることが望ましいものではあつても、翻訳された作品そのものの読解鑑賞指導の前提とするほどのものではない。

外来語についても、その原語の意味と外来のおおよその経過と日本語の語い体系の中の位置づけを指導することが中心であつて、その語の原地を訪れ、その歴史的風土を見ることが望ましいものであつても必要な条件ではない。

(五) 外国文学を独立した一教科として捉えているものではないので、外国文学を教えるために外国の風俗、習慣、語学の研修を積む必要性は求められていない。また、比較言語学は、大学においてはじめて専門的に履修されることはあつても、高等学校段階においては一切求められていない。

(六) これらのことを踏まえると、国語教師が、国語教育との関連において、英語圏を旅行し、語学の研修を積むことは、国語教科とは直接関係がない事柄といわなければならない。

4  県教委の教職員に対する外国旅行承認行為と校長に対する教職員の服務に関する指導について

(一) 県教委(教育長)は昭和五二年度、五三年度について、教職員が外国旅行をするに当つては、当該教職員から事前に外国旅行承認申請書の提出を求め、学校運営上の支障の有無、旅行地における教職員の安全等を検討して承認、不承認を行つてきた。その根拠は、山形県立学校管理規則(昭41.4.1廃止)一五条三項の「校長又は職員が外国に出張する場合は、一箇月前までに教育長の承認を受けなければならない。」との規定である。右規定の運用については出張する場合の他、私事旅行を含む取扱いをしてきたところ、昭和四一年四月一日山形県立高等学校管理運営規則が制定され、施行について教育長は、「山形県立高等学校管理運営規則の制定について」という通知を発し、職員の服務関係については、当分の間従前の山形県立学校管理規則一四条から一七条までの規定の趣旨に準じて取り扱うこととしたので、県教委は、右通知に基づき、昭和五三年一二月一〇日までの間、私事旅行を含め外国旅行については一か月前までに教育長の承認を受けるよう指導してきたものである。

県教委は教職員に対する外国旅行承認について、「教職員の外国旅行承認基準(内規)」(乙第一号証)に合致すればほぼすべての事例について承認してきたが、学校運営上の支障の右無、旅行地における教職員の安全等の見地から、休業期間のはみ出しと交通事情、政情不安を理由に承認しなかつた事例が一件だけある。

(二) また、県教委は、教職員から申請のあつた旅行内容と教科との関連からみて、校長が当該教職員の外国旅行を承認する場合1出張2国内出張、国外研修3研修4義務免5年休という各形態の服務取扱い方法があるので、このいずれの方法をとるかについて学校により区々になることがないように、昭和五一年五月右「教職員の外国旅行承認基準」をもうけ校長に指導をしてきたのである。右基準は、「教職員の外国旅行承認基準(内規)」となつているが、これは県教委が教職員の服務取扱いにつき、校長を指導する場合の基準を示した県教委の内部資料であるため、右の表題になつているのであり、同一の内容のものが各校長にも県教委から手交せられている。そして、校長の立場においては、その表題の意味は「教職員の外国旅行服務取扱基準」ということになるのである。そもそも服務監督権者は校長であり、個々の教員の外国旅行の服務の取扱いは校長が決定するのであるが、昭和三〇年当時海外旅行者もまれであり、旅行目的も多様である関係上、県教委が当該旅行の服務の取扱いについて、個々に校長に指導してきたのである。

なお、職務専念義務の免除による研修扱いとするか否かは、教員が本来の勤務時間をさき、かつ有給であることからして、授業に支障がないかどうか、研修目的・内容が学校からの離脱を相当とする程接に職務に密接に関連し、有益適切なものであるか否か等を校長が判断して決定することになる。この場合においても、およそ研修という名目の申出であれば授業に支障のない限りすべて承認しなければならないものではない。

(三) 県教委(教育長)の校長に対する右のような指導の法的根拠は、地教行法二三条三号、教育委員会の権限に属する事務の一部を教育長に委任し又は専決させる規則四条一号であるが、右指導は校長に対する拘束力を有しない。校長は右指導に反する措置をとることはでき、指導に反する措置をとつたとしてもいかなる処分、罰則も科せられないが、昭和五二年以降、校長は教育長の指導通り教職員に処置をしてきたものである。

(四) なお、昭和五三年一二月に至り外国旅行をする教職員も増加し、海外研修の実態に則して内規の一部改正・整備を行い、県教委の外国旅行者に対する承認制を廃止した。これにより、外国旅行にかかる服務の取扱いについても、すでに各学校において周知している事情もあり、従来の個々の指導を一般的指導に切換え、県教委には、届出をもつて足りることとし、事務の効率化を図つた。

5  県教委の原告に対する昭和五二年度の外国旅行承認及び秋場校長に対する原告の服務取扱いを「年休」とすることの指導について

(一) 原告の県教委に対する外国旅行承認申請からその承認までの日時経過

(1) 原告は昭和五二年六月二一日教育長宛に外国旅行承認申請書を提出した。しかし県教委は、旅行日程が七月二四日から八月二三日までで、夏季休業期間(七月二二日から八月二一日まで)を超えるため、この申請書を受理することなく、日程につき、原告に再検討してもらうよう秋場校長に指導し、申請書を同校長に返却した。原告が秋場校長を通じ右申請書を提出するに当つては、夏季休業期間の後に日程がはみ出しており、かつ旅行期間中の服務取扱いが年休になることは同校長と相談をすることにより容易に承知することができるのであるから、本来は、休業期間内に限定した旅行計画をたてて外国旅行承認の申請をなすべきであつたのである。

(2) 原告は、同年七月六日、期間を八日間短縮し、七月二四日から八月一五日までとし、語学研修、海外研修による人格の陶冶、海外教育事情視察を内容として外国旅行承認申請書を県教委に再提出した。県教委が期間を夏季休業期間内で日程をくみ直すよう、七月六日までに秋場校長に指導し、同校長は原告にその旨伝えているから、再提出の時点において、原告は休業期間内に旅行期間をおさめれば、県教委から外国旅行承認が行られることを承知していたのである。

(3) 県教委は右申請を受け、その内容を検討した結果、原告の外国旅行については期間、旅行内容について何らの支障もないと判断し、七月一三日これが承認をなし、あわせて秋場校長に対しては、旅行内容からみて、前記教職員の外国旅行承認基準の5の①に当たるので、年休扱いで取扱うよう指導したものである。事務手続としては、七月一三日に県教委により決裁がなされ、七月一六日県教委総務課において書類発送の手続きがなされた。この書類は七月二一日に酒工高が収受したことになつているが、七月一六日には県教委が電話で外国旅行は承認された旨秋場校長に伝え、同校長より一八日に原告宛に連絡がなされたのである。

(二) 原告が年休承認期間及び県教委の外国旅行承認期間を無視し、外国旅行を行つた事実

原告が帰国に当つて、別行動をとり、八月一四日に帰国することができる旨確約をとつたとの連絡は、秋場校長を通じ、七月一二日ごろ県教委に報告が入つた。よつて管理主事星川隆はその旨、同校長よりの教育長宛の「職員の外国旅行承認申請について」と題する書面に付記し、これに基づき、県教委は旅行承認をなしたのである。しかるに原告は、当初の予定通り、八月二三日まで外国旅行をなし、七月六日付外国旅行承認申請内容を逸脱した行為をなし、右につき、本件訴訟段階までこれを秘し、出勤簿には恰も国内において「自宅研修」ないし「年休」をとつた如く処理していたことが判明した。もし右のとおりの行動であるならば、県教委においてもこれが承認をなさなかつたものであり、また秋場校長においても原告に対し、原告よりの年休申請を認めなかつたであろう。原告は八月一六日以降二四日までの間は無断欠勤をなしたのである。

(三) 他の教職員との間に手続上何らの差別も存しない。

原告に対する県教委の外国旅行承認手続及び秋場校長に対する県教委の服務取扱いの指導手続については、他の教職員に対する手続と比較し、何らの差別も存しない。例えば、原告と同一所属校である佐藤英治、佐藤功の外国旅行承認申請は、昭和五二年七月七日付で県教委に提出され、原告関係の決裁日より一日前の七月一二日に県教委の決裁がなされ、一三日に総務課より書類が発送された。原告より発送日が三日程早まつているのは、県教委よりの各校への書類発送日が、水・土の二回であるので、三日程ずれたものである。したがつて両事例において、特に原告に不利になつた事実はなく、前述のように原告に対しては、七月一六日に県教委より秋場校長に電話で外国旅行が承認された旨伝えているのである。

6  県教委の原告に対する昭和五三年度の外国旅行承認と秋場校長に対する原告の服務取扱いを「年休」とすることの指導について

(一) 原告の県教委に対する外国旅行承認申請について

(1) 原告は昭和五三年五月一六日付で教育長宛の外国旅行承認申請書を秋場校長に提出し、同校長は五月三一日付で県教委に提出した。旅行期間は七月二一日から八月二六日とあり、夏季休業期間は、七月二五日から八月二四日であつた。通常であれば、昭和五二年度の経緯に照らし、夏季休業期間内におさめて申請するであろうが、原告はあえてこれを無視し、前年に引き続き夏季休業期間を前後にはみ出す期間において行つたのである。このことは原告の非常識を物語る証左である。しかも当時、原告には年休日数が一八日しか存しなかつたというのであるから、いかなる考え方に基づいて申請を行つたのか誠に理解に苦しむのである。

(2) 県教委は、昭和五三年度にいたり、校長が教職員の外国旅行に当りその服務取扱いを決める場合、より弾力的より容易に承認することができるような基準を設定する方向で検討を開始していた。したがつて夏季休業期間をはみ出す場合にも、学校運営に重大な支障がないと認められるときは、そのはみ出し部分も夏休み中の取扱いと同じように取扱つてよいのではないかとの意向が強まつてきた。そしてこの新基準が夏季休業期間前にできるか否か、基準改正ができた場合には新基準により、また、間に合わない場合においても各校長と連絡しつつ弾力的に認めることで事務手続を進行させていた。その結果原告関係についても、申請書の提出が五月三一日ではあつたが、決裁が遅れ、七月三日に夏季休業期間外も含め外国旅行の承認をなし、秋場校長に対し、服務の取扱いは年休として処理するよう指導したものである。

(3) 原告の県教委宛の外国旅行承認申請に当り、原告はその目的として、語学研修、海外教育事情視察、海外研修による人格の陶冶と記載しているが、教師のための英語研修と全米自由旅行(乙第七号証の三)の記載内容を検討してみれば、原告自身も前記教職員の外国旅行承認基準(校長の立場においては服務取扱基準)の「年休」5の①に該当するものであることが容易に判断できたものであり、また原告は、ほぼ同一内容で昭和五二年は年休取扱いで外国旅行をしたものであるので、右申請の結果、外国旅行が承認になるにしても、年休以外では旅行ができないであろうことは十分承知していたのである。

(二) 他の教職員との間に手続上何らの差別も存しない。

原告と同一所属校である高橋茂教諭については、昭和五三年五月三一日県教委に外国旅行承認申請がなされた。同人は英語担当であり、夏季休業期間である七月二五日により八月二四日までの間、英語研修のためのイングランド、アイルランドを主とした旅行であつた。右は前記教職員の外国旅行承認基準(服務取扱基準)の研修3の②に該当し、かつ、旅行期間にも問題がないため、県教委は六月六日外国旅行承認の決裁をなし、校長に対し、研修扱いとするよう指導した。右の承認書と秋場校長宛の服務取扱い指導の書面は七月一〇日同校長に到達した。他方、原告については、県教委としても、夏季休業期間のはみ出し部分についても、前年度の基準は存していたものの同校長が年休扱いで処理できるよう、特段の配慮がなしえないものかと検討を加えていたため、七月三日まで判断を控えていたものである。その結果、決定期日は遅れたものの、原告が希望した全期間を原告が年休をとるのであれば旅行が可能になつたのである。したがつて、右決定のおくれは原告のためを思つてした結果でこそあれ、原告に不利益を与えるためになしたものではない。しかも高橋茂と原告の両名に関する外国旅行承認書及び秋場校長に対する服務取扱いの指導についての書面は七月一〇日学校に到達したものであつて、両者に差異は全くない。

なお、原告の外国旅行承認申請書に添付された秋場校長からの意見書に公印がなかつたので、県教委は同校長に再提出させた経緯がある。七月三日付通知ではあつても、旅行日程の関係で何らの支障もない。

7  秋場校長は原告の両年度にわたる研修申請を相当と認めながら、後日教育長の行政指導で態度をひるがえしたことはない。

(一) 昭和五二年度について

原告の所属校の秋場校長は、原告が外国旅行をなすにあたり、昭和五二年七月六日県教委に「職員の外国旅行についての意見書」を提出した。

右意見書の文言中には、「海外研修旅行であると認められます。」「研修旅行を実現させたいものと考えます。」との表現がある。しかし、

① 校長としては、原告の申請書をみて、外国の教育事情視察の目的があるためはたして服務取扱いが研修になるか、年休になるかにつき判断に迷い、県教委の指導を受けた方がよいと考えたこと、

② 外国旅行に当つての服務取扱いについては、各学校によつてそれぞれ取扱いが区々にならないよう県からの統一見解を示してもらい、これを尊重しようと考えていたこと、

③研修旅行の意味については、国際的視野に立つた識見をもち、教師としての自覚を高め、資質の向上に役立つとともに、国際理解の強化の一助となるということで、研修と修養を積むことができる旅行であるとの趣旨で表現したものであつて、服務取扱いを研修として行かせる意味で表現したものではないこと、

右①ないし③からも秋場校長が、当初も服務取扱いを研修とすると考えていた事実が全くないことが判断される。

(二) 昭和五三年度について

昭和五三年五月三一日秋場校長より、教育長に提出された「職員の外国旅行についての意見書」にも、その中で前年度とほぼ同一内容で「外国研修旅行」とか「英語研修」の用語が用いられている。しかし、

① 同校長が服務の取扱いとしての研修ではなく、一般的な意味での研修と修養すなわち資質の向上、識見を高めるということで、この用語を使用したことは、昭和五二年度の場合と同一であること、

② 昭和五二年度においては、同校長は県教委より「年休扱い」との指導を受け、原告よりの年休申請があつた際、年休承認を与えてきた経緯があるのであるから、ほぼ同一内容の外国旅行申請に当り、同校長が前年度と異つて、意見書に服務取扱いの意味での「研修」として意見書を出すことはありえないこと、

右①②の事実から判断しても、同校長が服務取扱いを当初から研修と認め、これを後日ひるがえしたという事はないのである。

(三) 秋場校長は、昭和五二年の語学研修が、実用英語、会話、文法、言語学等の受講であり、また昭和五三年の英語研修が、英語教師にとつての英会話が主たる受講内容であり、これを原告が受講することによつて教養を高めるものではあつても、職務に直接関係がないため、前記教職員の外国旅行承認基準5の①に該当するものとして、年休で参加するよう指導したものである。

(四) よって、秋場校長には何らの加害行為は存しない。

8  教育長の行為にはなんらの違法性もない。

(一) 原告の研修申請に対し、教育長が可否決定を直接行なつた事実はない。

(1) 昭和五二、五三年度において、教育長が教職員の外国旅行承認行為の責任者であり、また校長が所属教職員に対し、外国旅行をするに当つて、服務取扱いについての承認を与える際、教育長は校長を指導する権限を有していた。しかし当時は、原告、他の承認申請者に対しては教育次長が代行していたものである。このことは教育長の押印欄に次長印がおされ「代」の記入がなされていることからも分る。しかし実際に事務を担当した者は、會田邦夫(昭和五二年度は学事課主任管理主事、同五三年度は管理主幹)と星川隆(管理主事)であつた。

(2) 昭和五二年七月一六日、原告所属校の秋場校長は県教委からまず電話で「年休扱い」で処理されたいとの指導を受け(書面は七月二一日同校長に到達)、七月一八日同校長は原告に対し、県教委からは、右の内容で同校長に指導がきていることを伝えたのである。同校長はその後原告からの外国旅行期間について年休申請があつたので、これを承認し、原告は年休をとつて外国旅行を行つたのである。

(3) 昭和五三年七月一〇日、秋場校長は県教委から「年休扱いで処理されたい。」との指導をうけ、七月一一日同校長は原告に対し、県教委からは、右の内容で校長に指導がきていることを伝えたのである。しかるに原告は当時一八日と四時間しか年休がなかつたので、年休申請を行わず外国旅行を中止するに至つたのである。

(二) 以上のように、教育長は原告に対し、年休を条件として外国旅行を承認した事実はなく、原告の主張自体が誤つている。さらに教育長は、その処理に当り、とくに他の教職員と差別し、不利益を与えた事実はない。

四  被告の主張に対する原告の認否

被告の右1ないし8の主張はすべて争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

右に関する原告主張事実はすべて当事者間に争いがない。

二事実経過

1  原告が昭和五二年六月二一日原告の勤務校である酒工高を経由して被告の執行機関である教育長宛に、①語学研修(主として英語)、②日本語及び日本文学の海外普及、③海外研修による人格の陶冶、④海外教育事情の視察を目的とし、イギリス及び西ヨーロッパを旅行地として、同年七月二四日から同年八月二三日までイギリスのケンブリッジ大学での三週間の語学研修と一週間のヨーロッパツアーの計一か月間の外国旅行承認申請書を提出したこと、右旅行計画は「海外学術文化協会」主催の語学研修旅行計画によるものであつたこと、同年七月六日酒工高の秋場校長より原告に対し、口頭で右「申請は不承認」なる旨告知されたこと、そこで原告はやむを得ず同日付で旅行期間を一週間短縮(同年七月二四日から同年八月一五日まで)した申請書を教育長宛に再度提出し(校長意見書添付)、同月九日県教委が受理し、同月一三日付で「取扱い年休」で処理されたい旨の決裁がなされ、同月一八日秋場校長より原告に対し口頭で告知されたこと、同月一六日発送の教育長の文書は同月二一日酒工高に収受され原告に交付されたこと、原告は同月二四日から年休扱いで右外国旅行に出発したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  原告が昭和五三年五月一六日前年同様酒工高を経由して教育長宛に、①語学研修(英語)を通して「文学と国土」との関係をさぐる、②海外教育事情視察、③海外研修による人格の陶冶を目的として同年七月二一日から同年八月二六日までアメリカのシッペンスバーグ大学における語学研修一〇日間と外国旅行(アメリカ)の合計三七日間の外国旅行承認申請書を提出したこと、右旅行計画は「NCI」主催の「教師のための英語研修(STUST・七八)」によるものであつたこと、県教委からは、右申請時より二か月弱たつた同年七月一〇日年休で承認する旨の通知がされたこと、この時点で原告の年休の残日数は一八日四時間であつたこと、そこで原告は教職員組合の酒工高全日制分会の分会長に立会つてもらい校長交渉を何回かしたが、秋場校長は研修相当と認めなかつたこと、そのため原告は昭和五三年度のツアーの準備一切を放棄し、旅行を中止したこと、以上の事実も当事者間に争いがない。

3  〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  原告の昭和五二年度の外国旅行承認申請における語学研修は、三週間にわたる実用英語、会話、文法、言語学、英文学及び商業英語等の受講であり、見学旅行先はヨーロッパの主要都市及び地方都市であつたこと、

(二)  県教委は原告の右外国旅行承認申請に対し、旅行日程が夏季休業期間(七月二二日から八月二一日まで)を超えるためこの申請書を受理せず、日程について原告に再検討をさせるよう秋場校長を指導し、右申請書を同校長宛に返却したこと、

(三)  秋場校長はその旨を原告に告知し、原告は同年七月六日右旅行期間を夏季休業期間内の同年七月二四日から八月一五日までと短縮して前同趣旨の外国旅行承認申請書を教育長宛に再提出したが、原告としてはこの時点において旅行期間を夏季休業期間内におさめれば県教委から外国旅行承認が得られることは承知していたこと、

(四)  秋場校長は原告の右外国旅行承認申請について教育長宛に「職員の外国旅行についての意見書」(乙第五号証の二)を提出し、同文書中に、「海外研修旅行であると認められます。」「研修旅行を実現させたいものと考えます。」との表現を使用していること、しかし同校長としては原告の外国旅行承認申請書をみて、英語研修は国語科教師である原告の担当教科と直接の関係はないが、旅行目的に外国教育事情の視察が挙げられているため、服務取扱いを研修とするか年休とするかについての判断に迷い、県教委(教育長)の指導を受けた方がよいと考えたこと、研修旅行の意味については、「国際的視野に立つた識見を持ち、教職に対する誇りと自覚を高める等教師としての資質向上に役立ち、国際理解の強化の一助となる。」と表現したのは、教師としての研究と修養を積むことができる旅行であるとの趣旨を示したものであつて、服務取扱いを義務免たる研修とすべきであるとの意味で記載したものではないこと、

(五)  県教委は、原告の再申請を受けその内容を検討した結果、右外国旅行については期間、旅行内容等につき何ら支障がないと判断し、同年七月一三日右外国旅行を承認し、あわせて秋場校長に対して、旅行内容からみて「教職員の外国旅行承認基準(内規)」(乙第一号証)の5の①に該当するので年休扱いとするように指導したこと、

(六)  右承認に至る過程において、同年七月一二日、原告が帰国に当つては別行動をとり、八月一四日に帰国できる旨確約したとの連絡が秋場校長を通じ県教委にあり、これにより県教委は右外国旅行を承認したこと、しかるに原告は当初の計画通り同年八月二三日まで外国旅行をしたこと、

(七)  原告の昭和五三年度の外国旅行承認申請における英語研修は二週間にわたる英語の発音、会話等が主たる受講内容で英語教師を主たる対象にしているものであること、そして他の旅行内容は自由となつていたこと、

(八)  秋場校長は昭和五三年度の原告の右承認申請についても同年五月三一日付で教育長宛に「職員の外国旅行についての意見書」(乙第七号証の二)を提出し、同文書中に、「海外研修旅行であると認められます。」「国語教育の指導内容にも更に充実が期待できると思われます。」との表現を使用していること、しかし同校長としては、昭和五二年度において県教委(教育長)から原告のほぼ同趣旨の外国旅行承認申請について「年休扱い」との指導を受けていたので、昭和五三年度においても前年度と同趣旨で意見書を提出したこと、

(九)  県教委は昭和五三年度に至り、前記教職員の外国旅行承認基準を、より弾力的、容易に承認できるような基準にする方向で検討し、夏季休業期間を超える場合も学校運営に重大な支障がないと認められるときは、その超える部分も夏季休業期間中と同様の取扱いをしてもよいのではないかとの意向が強まつてきていたこと、原告の前記承認申請については新基準ができればそれにより、間に合わない場合においても秋場校長と連絡しつつ弾力的に認めるよう事務手続をしようとしていた関係もあり、原告の右承認申請に対する決裁がおくれていたが、同年七月三日、県教委は夏季休業期間を超える部分も含めて外国旅行の承認をし、秋場校長に対し服務の取扱いは年休として処理するよう指導したこと、

以上の事実が認められ、右認定に反する〈証拠〉は前掲各証拠に照らし容易に措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三研修権

1(一) 原告は、教員(教育公務員)には教特法一九条、二〇条等により研修権が認められ、本属長たる校長は、授業に支障のない限り、教員から自主的研修の申出があればこれを承認すべく羈束されているものであり、かつ授業への支障の有無の実質的判断権は校長にはなく、研修に参加する当該教員又は職員会議のみがこれを判断しうるものであると主張する。

(二) しかしながら、教特法一九条、二〇条は、教育公務員は、絶えず研修と修養に努めるべきこと及び研修を受ける機会が与えられるべきことを明示し、使用者の地位にある任命権者に対しては研修に要する物的施設、研修を奨励するための方途その他研修に関する計画を樹立し、その実施に努めるべきことを定めるとともに、本属長の承認を受けて勤務場所を離れて研修を行うことができる旨定めているが、同法一九条一項は、職責を遂行するために絶えず、すなわち、場所及び時間を超えた無限定のものとして研究と修養に努めることを義務づけているので、あつて、職務の遂行としてこれを義務づけているのではないのみならず、同条の文言からして、教育公務員について教育基本法一条、二条の趣旨を実現するための理想像たる教職者としての人格能力の具有を期待する趣旨において、これに必要不可欠な研究、修養への努力義務を理念的、職業倫理的意味において規定したもので、具体的に法的義務として要求したものではないと解するほかなく、したがつて同法一九条、二〇条等によつてこれに対応する権利としての研修権を具体的に保障したものとは到底解することができない。

(三) また、地教行法三五条により原告に適用のある地公法三五条は、法律又は条例に特別の定めがある場合を除き職員には職務専念義務があることを定めているところ、教特法二〇条二項は服務監督権者たる本属長の承認の下に教員が勤務場所を離れて研修をすることができる旨定めているのであるから、地公法所定の除外事由たる法律に特別の定ある場合に該当するということができ、教特法の右条項の承認は、これに基づき研修を行う者につき法律上当然に職務専念義務を免除したものと解すべきである。それ故右教特法二〇条二項の規定は、本属長に、服務監督権者として校務の運営に遺憾なからしめる見地から、授業はもちろん、勤務場所での勤務全般に及ぼすことあるべき支障の有無を判断せしめるとともに、教育公務員たる身分を有する教員に職務専念義務を免除し、当該研修をなすことを公に承認することから生ずる広義の学校運営上の影響の有無、程度等をも考慮して承認の当否を判断せしめる意味において承認権を付与しているものであつて、校務の中でも教員の中心的職務たる授業についてはこれをまず優先せしむべく、授業に支障がある限りは研修の承認を許さないものとして本属長の承認権を羈束しているものと解される。しかし、また同規定は、研修を本属長の承認にかからしめているのであるから本属長は当該学校運営全般にわたりこれを総括する責務を有し、授業以外の校務運営上の支障を無視して職務専念義務免除をなし得ないこともおのずから明らかである。のみならず、右研修扱いとなれば、教員が本来の勤務時間中勤務場所を離れて(有給)研修することになることからして、研修の目的及び内容が勤務時間中の勤務場所からの離脱を相当とする程度に職務たる具体的、個別的な教育を施す業務に密接に関連し、かつ右職務に有益適切なものであること等客観的にこれを相当とする事由があると認め得て始めてその承認をすべきものである。しかして、これらの意味において教特法二〇条二項の承認については、服務監督者たる本属長に、研修の承認に伴う授業以外への諸影響をも比較考量せしめるための裁量判断権を付与しているものといわなければならない。

(四) してみれば、この点に関する原告の主張は採用できない。

2(一)  次に原告は、昭和五二年度及び同五三年度における各外国旅行承認申請(海外研修旅行申請)については教特法二〇条により勤務場所を離れての研修は本属長たる秋場校長の承認事項であるところ、右各研修申請についていずれも教育長が可否決定を行つているのは権限外の行為であつて違法である旨主張する。

(二)  そこで以下検討するに、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(1) 地教行法三三条に基づき定められた山形県立学校管理規則(昭和三二年五月一四日教育委員会規則第三号、昭和四一年四月一日廃止)一五条三項は、「校長又は職員が外国に出張する場合は、一箇月前までに、教育長の承認を受けなければならない。」と規定し、右規定は、出張のほか私事旅行の場合をも含めて同様に取扱う旨の運用がなされていたが、昭和四一年四月一日、右同様地教行法三三条に基づき山形県立高等学校管理運営規則(昭和四一年四月一日教育委員会規則第三号)が制定され、その施行について教育長が「山形県立高等学校管理運営規則の制定について」(昭和四一年五月二一日企調第六九号教育長)を各県立高等学校長宛に通知し、その「25その他(1)」において、「職員の服務関係については、別に教育委員会規則で定める見込みなので、当分の間従前の山形県立学校管理規則第一四条から第一七条までの規定の趣旨に準じて取り扱うこと。」としたこと、そしてこれに基づき県教委は以後昭和五三年一二月に「教職員の外国旅行に関する服務の取扱いについて」(乙第二五号証)が定められるまでの間、私事旅行を含め外国旅行についてはすべて一か月前までに教育長の承認を受けるよう指導してきたこと、

(2) 県教委は、昭和五一年五月、教職員に対する外国旅行承認の基準とするための前記教職員の外国旅行承認基準(内規)を制定し、右基準に合致すれば昭和五二年四月以降同五三年一二月までの間に限れば一事例を除きすべての事例について外国旅行の申請を承認してきたこと、県教委は右承認基準を県下の各校長に手交したうえ、右基準によつて、各校長に対し出張、国内出張・国外研修、研修、義務免、年休の取扱区分のうちのいずれの服務取扱いをとるかについての指導をしてきたこと、

(3) 県教委(教育長)が行う外国旅行の承認と服務取扱いについての指導は、山形県下の各学校の管理運営上のものであり、あくまでも県下各学校における教職員の外国旅行に対する承認について取扱い上の公平を期し、各学校において承認、不承認の取扱いが区々にならないよう配慮したいわゆる行政指導であつて、教育長のなす外国旅行の承認行為は、教特法二〇条二項にいう本属長の承認行為とは異なる別個のものであり、また右指導も教特法二〇条二項にいう本属長たる秋場校長のなす承認についての判断を拘束するものではないこと、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  してみれば、本件における県教委(教育長)の承認は、学校管理運営上の外国旅行の承認行為であつて、原告に対する教特法二〇条二項に規定する服務監督上の職務専念義務免除という趣旨の承認についてその可否の決定をなしたものでないことは明らかであり、また県教委(教育長)の前記指導行為も拘束力のない事実上のものであることからすると、原告のこの点に関する主張は理由がない。

3(一) 次に原告は、教育長及び秋場校長が原告の前記両年度の各外国旅行申請について年休扱いを条件としたことは原告の研修権を侵害するものであつて違法である旨主張する。

(二)  しかしながら、教特法一九条、二〇条等により研修権が認められるものでないことは前判示のとおりであるうえ、教特法二〇条二項の承認権者たる秋場校長には前判示のような裁量判断権があるというべきところ、前記二に認定判示した事実によれば、原告が昭和五二年度及び同五三年度に各申請した外国旅行の内容、とりわけ主目的たる英語研修も、これらによつて原告の教養、見識を高め、見聞を広めるものではあつても、国語科の教員である原告の担当教科に直接関係し或いは密接な関連があるというを得ないことは明らかであるし、更には、秋葉ママ校長は、県教委(教育長)からの前記教職員の外国旅行承認基準(内規)の5の①に該当するので研修扱いとせず年休扱いとするようにとの指導に基づき研修扱いとしないと裁量判断したものであつて、この点に関する秋場校長の判断に裁量権の濫用ないし逸脱があつたとは到底認め難い。

また、県教委(教育長)の秋場校長に対する前記指導行為をもつて違法というを得ないことは前述のところから明らかである。

(三) してみれば、県教委(教育長)及び秋場校長の行為には何ら違法はないというべきであつて、この点に関する原告の主張は理由がない。

四年休権

原告は、教育長及び秋場校長が原告の前記両年度の各外国旅行申請について年休扱いを条件としたことは原告の年休権を侵害するものであつて違法である旨主張する。しかしながら、前記二に判示した事実によれば、昭和五二年度については原告はその自由意思に基づき年休を利用して外国旅行をしたものというべきであるし、また、同五三年度については原告は自己の年休の残日数が外国旅行に要する日数に足りなかつたので、その自由意思により自発的に外国旅行を中止したものというべきであつて、教育長或いは秋場校長が原告の年休権を侵害したものということは到底できない。そして、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。したがつて、原告のこの点に関する主張は理由がない。

五海外旅行権

原告は、海外研修(外国旅行)申請に対する教育長の承認は、海外渡航の自由の保障に鑑み、公共の福祉に反する等、特段の制限事由がない以上承認するのが原則となるべきものであり、教育長が何の理由も明示せず年休扱いとの指導をしたことは違法である旨主張する。しかしながら、前記二及び三に判示したところによれば、昭和五二年度及び同五三年度における原告の外国旅行承認申請に対し、県教委(教育長)はいずれもこれを承認しているのであつて、原告の海外旅行権あるいは海外渡航の自由を侵害していないことは明らかである。したがつて、この点に関する原告の主張は理由がない。

六差別的取扱い

1  原告は、教育長は昭和五二年度及び同五三年度において、原告に対し他の外国旅行申請者と比較して著しく不利益な差別的取扱いをしたものであり違法である旨主張する。

2  しかしながら、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  昭和五二年度においては原告と同一所属校である酒工高教員の佐藤英治及び佐藤功も外国旅行承認申請をなしたが、同人らは同年七月七日付で申請書を教育長宛に提出し(原告は同月六日付でなした。)、原告に対する決裁より一日早い同月一二日に県教委の決裁があり翌日の同月一三日(水曜日)に承認の書類が県教委から同校に発送されたこと、原告より発送日が早まつているのは県教委から各学校に対する書類の発送日が水曜日及び土曜日の週二回であることがその原因であること、同月一六日の土曜日)に県教委から秋場校長宛に電話で外国旅行が承認された旨伝えられ、同月一八日には原告にその旨伝えられていること、

(二)  昭和五三年度においては同じく酒工高の教員高橋茂が同年五月三一日教育長宛に外国旅行承認申請をなしていること、同人は英語担当であり、夏季休業期間中である同年七月二五日から同年八月二四日までの間英語研修のためイングランド及びアイルランドを主とした旅行につき承認申請したものであるが、右は前記外国旅行承認基準の研修3の②に該当し、かつ旅行期間にも問題がなかつたため、県教委は同年六月六日外国旅行承認の決裁をなし、その後秋場校長に対しその旨伝え、研修扱いとするよう指導したこと、右の承認書(乙第二四号証の一)と校長宛の指導の書面(同号証の二)は同年七月一〇日同校長に到達したこと、同年度の原告の申請については、県教委としても夏季休業期間を超える部分について、前記承認基準は存していたものの特段の配慮がなしえないものかと検討を加えていたため決裁期日が同年七月三日まで遅れたこと、原告に対する外国旅行承認書及び校長に対する服務取扱いについての指導の書面(乙第八号証)は右高橋に対するものと同一の日である同年七月一〇日に酒工高に到達していること、そして原告には同月一一日にその旨伝えられていること、

以上の事実が認められ、右認定に反する〈証拠〉は前掲各証拠に照らし容易に措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右各認定事実に前記二に判示した事実を総合すると、原告が主張するような差別的取扱いがなされたとは到底いいがたい。そして、他に県教委あるいは教育長が右両年度の外国旅行承認手続において、原告に対し、他の教職員と比較して不利益な差別的取扱いをしたと認めるに足りる的確な証拠はない。

してみればこの点に関する原告の主張も理由がない。

七結論

したがつて、原告の請求はその余の点について判断するまでもなくすべて理由がない。

よつて、原告の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(井野場秀臣 下澤悦夫 小泉博嗣)

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